自ら考える習慣を作る一要素。

これは一体どういうことだろうか。

ワタシたちの塾では、学力別にクラス編成をしていて、各クラスの学力水準に合わせた授業をしようと、日々研鑽している。
たとえ同じ講座であろうとも、クラスが違うのに同じ授業など断じてあり得ない!
・・・というわけなのだが、今問題なのは件の「3173」に関して、彼の言う粘り強さを発揮できなかったクラスの方が、学力的には高いレベルのクラスなのだ。

因みに、彼自身はちょっとイケメン・・・かどうかは別として、子どもからの人気もある看板講師の一人である。
(ワタシは・・・それ程人気はない(T_T)/~~)

では、何が違うのか?

種を明かそう。
ポイントは・・・。
「できるっ!」
と信じ込ませることだ。

彼は「3173」で「10」を作ることだけに目が向いたようだが、ワタシはそれ以前に伏線を張っている

「今日は、3月17日だね。」
「みんな、3と1と7で10を作れるかい?」

これは、いくらでもできるだろう。
子どもたちも、余裕の表情。

ここだ!

実際に思考させ、正解を導くことができる感覚を与えることこそが肝要だ。

この伏線が「巧み」であれば尚良いが、集団指導で全員を一気に巻き込むことを狙いにした場合は、どうしても今回のようなワザとらしい感じになってしまう。
でも、それでイイのだ。

その上で・・・子どもたちを自分の術中にはめた状態で。
「じゃ、3を一つ増やしてやってみようか?」
ここで、ニヤリと悪戯っぽい表情を見せることも忘れない。

きっと子どもたちは・・・。

「このオヤジ、何か企んでるな?」
と思っていることだろう。

そうはさせるか!・・・という闘争心?

・・・これも良い。

準備は万端整った。

・・・・・。

(解答も最終ページに)